大阪近鉄バファローズは、まさに生活の一部でした。小学校低学年の頃からずーと大ファンでした。その間、いろいろありましたねぇ。「江夏の21球」をはじめ、高校の試験勉強をほったらかしにしてTVを見てた伝説の「10.19」。翌年のブライアント4連発。受験の模試をしながらラジオを聞いてた日本シリーズ3連勝4連敗。北川の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン。ほんと、野球のシーズンは毎日が一喜一憂でした。
地域的にグリーンスタジアム神戸(現スカイマークスタジアム)が近いので、友達とあるいは一人でよくレフトスタンドから応援しました。イチローがオリックスにいて、オリックスファンで球場全体が囲まれていた頃も行きましたねぇ。そのうちにオリックスファンも少なくなり
近鉄ファンの方が多くなっていきましたが…。
でも、近鉄はなくなってしまいました。なんで合併なん?経営苦しいなら身売りでもええやん。選手はどーなるの?とは思いつつ、シーズン中は全然、近鉄がなくなってしまうなんて実感しませんでした。
そして、大阪近鉄、最後の試合。くしくも最後の舞台は私が近鉄の試合の度に観戦したヤフーBBスタジアム(現スカイマーク・スタジアム)。結果なんてどうでもいい試合でした。最後のバッター星野が倒れて、終わりました。選手達が我々、レフトスタンドに挨拶にやってきました。これが最後の近鉄の姿なんて思えませんでした。次のシーズンもこのチームで…。
TV局が私にインタビューに来て、「最後だなんて、まだ全然実感がわかないです。」と正直に答えました。
2004年のシーズンも終わりストーブリーグに入ると徐々に実感してきました。選手らがオリックスと楽天に振り分けられ、「あぁ、近鉄が壊れてゆく…」と思いましたね。こんなことがあっていいのだろうかって。
オリックスのヘッドコーチを要請された近鉄最後の監督、梨田さんが「みんな、どうなるのかまだわからないのに、私だけ先を決める訳にはいかない。」と就任要請を断った姿は感動的でした。まさに「沈みゆく船の船長」でしたね。あなたは立派な近鉄最後の監督でした。
「いてまえ魂」をもった選手達、バラバラになってもみんな応援するぞ!頑張れ!
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