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“挫折”を乗り越え

彼女は“ナオ”コートに立ち続ける

 

プロフィール

 

江藤直美(えとう・なおみ)

1972年7月12日生まれ

福岡県出身

扇城(現・東九州龍谷)高〜日立〜東洋紡〜JT

身長⇒186cm

最高到達地点⇒307cm

ポジション⇒センター

コートネーム⇒なお

 

管理人の思い入れ

 

ナオさんは私の一つ年下となる

女子バレー界ではもうベテランと長く呼ばれる年齢であろう

 

ナオさんの事は日立時代から知っていた

が当時の記憶としては「ブロックの高い選手」程度のイメージしか残っていない

やがて私がバレーボールから遠ざかり

その記憶も薄れていった

 

そして何気なく見ていた第11回のVリーグで

TVでナオさんの姿を見た

「あぁ、江藤選手ってまだバレーボールをやってたんや」

とは思ったが

私がバレーボールから遠ざかっていた時

ナオさんがとんでもない試練を乗り越え今もコートにたっていることを後に知る

全日本女子バレーのシドニー五輪最終予選での敗退・本戦不出場である

そのときは

「ふーん、女子バレーもオリンピックにでれないようになってしまったのか…」

と流す程度に考えていた

しかしナオさんをはじめ

当の選手達はこの「屈辱」を背負うバレー人生となってしまう

 

シドニー五輪最終予選前

ナオさんと同期で日立のチームメート

そして全日本の主将多治見選手(現・パイオニア)が怪我をしてコートに立てなくなる

ナオさんは当時の全日本の葛和監督に

多治見選手の気持ちを背負って欲しいとキャプテンマークを授かる

しかしナオさんにその後

練習中に“事故”がふりかかる

ナオさんがダイビングレシーブをした時壁に激突

ブチっという音と共に右肘が逆を向く

靭帯切断全治6ヶ月である

最終予選まであと1ヶ月半

ナオさんは「手術していては間に合わない」と手術を避ける

そこから執念のリハビリ

ナオさんは最終予選の舞台に何事もなかったように立ったのである

 

しかし結果は予選敗退

ナオさんをはじめ監督・選手は非難の標的となってしまうのである

 

そして更にその後悲劇は襲う

「名門・日立」のバレーボール部廃部である

ナオさんはこの時バレーを続けるかどうか悩んだという

しかしナオさんはバレーを続ける決心をする

 

その後移籍した東洋紡も廃部

ナオさんは次の移籍先として「JTマーヴェラス」を選んだ

シドニー予選で一緒に戦った竹下選手とコンビを組むためである

 

ナオさんの右肘は今でも鍛えた筋肉によって靭帯の代用をさせている

そしていろんな思いのこもったこの“右腕”でスパイクを打ち続ける

 

「昔はオリンピックに出るのが夢だった。

でも今はJTで、このチームで日本一になるのが夢」だと話す

そして「自分のバレー人生に納得が行くまでバレーは辞めない」

 

…そんな過去を背負ったナオさんを私は応援したくなった

ナオさんにとって波乱万丈のバレー人生

ナオさんが“納得の行く”まで

私はナオさんを見つめ続けていこうと思う

 

ナオさん

これからもできるだけ長くコートに立ち続けてください

そして仲良しの多治見選手と決勝で戦う夢を

このチームで日本一になる夢を追いつづけていてください

 

2006年2月6日

 

(参考文献:「ナンバー」633号「敗北を抱きしめて。」吉井妙子著)

 

2006年3月14日写真変更

写真提供:ぷーまさん

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