コート狭しと
跳ね回るゴムマリ娘
プロフィール
椿本真恵(つばきもと・さなえ)
1966年12月11日生まれ
徳島県出身
富岡東高〜ダイエー〜久光製薬〜パイオニア
身長⇒170cm
最高到達地点⇒307cm
ポジション⇒ライト
コートネーム⇒カムイ

管理人の思い入れ
間違いなく
管理人が見てきたバレー選手の中で
一番思い入れのある選手
コートネームの「カムイ」は
競馬好きの高校の先生が
当時の名馬「ハギノカムイオー」からつけたらしい
彼女の魅力は何と言っても類まれな跳躍力である
先程ワールドグランプリで活躍した
菅山かおる選手の跳躍力が話題となったが
ほぼ同じ身長で最高到達地点が菅山選手より14cm上回るのだから
いかにすごい跳躍力かわかるであろう
「和製ルイス」「ゴムマリ娘」などと言われたが
私から見れば彼女はコートの中を跳ね回る「バンビ」のようでした
彼女の放つスパイクは面白いように相手コートに突き刺さる!って感じでした
彼女がシャットアウトされた場面というのは記憶にないほどです
彼女を語る上で
元パイオニア監督のアーリー・セリンジャー氏を忘れてはいけない
彼女がダイエーの中心選手の時
セリンジャー氏がダイエーの監督に招かれた
最初は今のようにセリンジャーバレーが日本の選手に受け入れられたわけではなかった
特に椿本選手は常にセリンジャー監督と衝突しあった
しかしセリンジャー監督には彼女がチームを引っ張る存在だと思い続けていたようである
チームは空中分解し下位を低迷し入れ替え戦寸前までいった
その時
ミーティングでセリンジャー監督は彼女に
「君がガムシャラになればみんなついてくる。君しかいない!君がチームを引っ張るんだ!」
と彼女に言ったそうだ
彼女はその監督の言葉を胸に監督を信じるしかないと
負ければ入れ替え戦という大事な試合に挑んだ
その結果試合に勝ち入れ替え戦の危機は免れた
と同時にセリンジャーバレーがダイエーに浸透していく瞬間でもあった
その後彼女はダイエーの主将になり
文字通りチームを引っ張っていく存在となる
主将を退いた後もチームの中心として働き第1回のVリーグを制することとなる
一時引退したが久光製薬でバレー界に復帰
そしてパイオニアに移籍
彼女が切望してセリンジャー氏を監督に迎える事になる
そしてセリンジャー監督の右腕的存在となった
第8回Vリーグでは初の個人賞となるベスト6を受賞
パイオニアを離れた後はビーチに転向する
2005年
彼女は春高バレーのコーチキャラバンで沖縄の嘉手納高校を指導することになった
彼女がどんなコーチングをするのか
できれば見たいものである
管理人は思う
同じ世代に大林素子選手というサウスポーがいなければ
もっと全日本で活躍していたに違いないと…
でも常に上があったからこそ長年現役でいたのかもしれない
2005年8月18日
2012年3月2日一部改記
近況
2008年
地域リーグ所属の「JAぎふ」の監督に就任
2012年に「JAぎふ」はチャレンジリーグ昇格が内定している
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